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山口県でのTHE ENDの初演を観てから半年、東京での公演を観てから約1か月経ちました。 その間いろんなことが起きて、いろんな思いや考えが迷子になりつつ。 きょうの時点での感想をここに残しておこうと思います。 「オープンソース」が浸透してひさしい。 今年のSXSWやカンヌや様々なカンファレンスで多く語られ解釈はどんどん拡大していっている。 初音ミクもそうだし、ライゾマが手がける最近のPerfumeだってそう。 先日、とあるゾンビ映画を観ながらふと思った。 ゾンビってものすごくオープンソースだなぁと。 ゾンビは実在しない(たぶん)。 そもそものルーツは、ヴードゥー教だと言われている。 1932年の『恐怖城』がゾンビが映画に登場した最初で、その時は、ただの生き返った化け物的存在で能動的に動かず、「噛み付かれた人もゾンビになる」などといった現代におけるゾンビ定義とはかけ離れたものだったよう。 その後、世界中のあらゆる映画やドラマでゾンビは反復して使われ、少しずつエピソードが追加され上書きされ、少しずつ今のゾンビになっていった。 架空の存在で、きちっとした規定が最初に行われていたわけではないのに、これほど多くの国で多くの人々により創作されたモチーフって少ないのではと思う。 多くの人にアレンジされている割にイメージにぶれが無い。 モチーフであるから、とりまくストーリーは多様性に富む。 何より己の力で増殖もできる。 似たような存在でドラキュラがいるけれど、元のモデルがかっちりしていたりストーリーが明確にあったりするのでオープンソース感は少ない。神とかキリストとか仏陀もそういう感じ。 そもそもが、ゾンビの「生きてるのか死んでるのかよくわからない」「意志があるのか無いのかが不明」というのが、 普遍的な生死の問題と、自己と他者の壁みたいな話とどっかで共鳴して、ゾンビをここまで大きくした理由だったりするのかも。 ここまで考えると、ボーカロイドという存在の初音ミクをゾンビになぞらえて考えると、「死」というテーマがどれだけ似合うか。 そしてそれを、オペラで再現することがどれだけゾクゾクする体験になるのか、すごくすっと腑に落ちる。 THE ENDの中で彼女が繰り返し発する「会いたかった」という言葉。 会いたいではなく、会いたかった。真意をぐるぐると考えているだけでごはん3杯いけてしまう。 THE ENDはオペラの主要素のアリアやレチタティーボで構成され、「死」をテーマにした悲劇的ストーリーで展開される約束事が守られている。 初音ミクという系譜で語られることが多いけれど、わたしにとってTHE ENDはオペラの系譜における事件であり、 大昔から「文化」という世界でくりひろげられてきたオープンソースの中でも大きな事件なのだと、確信してる。 ちょっと尻切れトンボですが今日はここまで。 パリのシャトレ座での上演の成功お祈りしております。 新津保さんが撮られた写真がうっとりするくらい美しいので、 レポートとあわせてぜひこちらも。 QUOTATION magazine.jp 渋谷慶一郎と初音ミクによるボーカロイド・オペラ「THE END」レポート
by dubby2
| 2013-07-11 19:10
| art
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